第26回ザッカデザイン画コンペティション

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特別企画

<support surface>研壁宣男さん キャリアインタビュー(Part3)

~キャリアを積み、自分のブランドを立ち上げる~

─ 社会人として最初の数年はとても大事な時期だと思います。その頃、研壁さんはどのような仕事をされていましたか? そこから、キャリアが軌道に乗るまでのお話を少し伺って良いでしょうか。

研壁:イタリアに行って2年、ロメオの会社は空中分解し、僕は、カルラさんのもとで、10 CORSO COMOのデザイナーとして働き始めていました。ロメオとカルラさんの間で意見の相違があり、パートナー関係を解消して、当時ロメオの会社のあった10 CORSO COMOの場所からロメオが出て行ってしまったんです。僕はカルラさんのところに残って仕事をすることを選びました。カルラさんは彼がいなくなったスペースを活用した次のビジネス(10 CORSO COMOというセレクトショップ)を考えて始めることになるのですが、そのショップから発信するプレタポルテのライン、オリジナルブランド<NN STUDIO>のデザイナーを務めることになります。

─ 10 CORSO COMO は、ミラノを代表するショップですね。そこでデザイナーとして活躍されたわけですが、<NN STUDIO>では、どのような仕事をされていたのですか?

研壁さん研壁:<NN STUDIO>というのは、英語では<NO NAME STUDIO>という意味になります。ロメオのような有名デザイナーの名前はつかなくても、一般の人が本当に望むような、センスの良いモダンでニュートラルなコレクションをやりたい、というカルラさんの考えでスタートしたラインです。あからさまなデザインものというより、シンプルでも気の利いたデザインを要求されました。デザイン画では表現できないことが多く、仮縫いとフィッティングで、立体デザインを確認して仕上げていくというアプローチで臨むようになりした。

年齢でいうと23歳から30歳くらいでしたので、体力、気力共で一番パワーがあった時期だったと思います。また現在と簡単に比較できませんが、時間的に一番忙しかった時期でもありました。空中分解後のロメオのオフィスから<NN STUDIO>に残った人間は自分を含め3人しか残ってなく(その後、自分一人になってしまった時期もありました)、メンズ、レディスの服、さらに靴やバッグなどもデザインしていましたので、とにかく忙しかったです。ただその時期は、素材リサーチから、仮縫い、工場への指示出しなど、いろいろな仕事を任せてもらい、本当に勉強になりました。

─ 仮縫いやフィッティングで仕上げる、とのことですが、その経験はまさに、現在の研壁さんのクリエーションである、立体裁断による構築的なデザインで有名な<support surface>の原点なのではないでしょうか?

研壁:そうですね。僕は学生時代に特に立体裁断が得意でもみっちり勉強したわけでもなかったんです。ただある程度デザイナーの経験を積んできて、「デザイン画を描いて、パタンナーに渡して、上がってきたものをチェックして」というそれまでのやり方では、本質的に新しいものができないのではないか、と思い始めたのですね。もっと自分の《手のクセ》を出さなくては、本当にオリジナルな作品はできないのではないかな、と。それで、自身によるピンワークで衣服を作ってみたというのが、今の<support surface>のスタイルの原点です。

─ キャリアを積みながら30代になり、ついに自身のブランド<support surface>を発表しようと思った理由を教えてください。

研壁さん研壁:長い間、海外に軸足を置いてデザイナーをやっていると、「自分が何かをやりたい」ということよりも、「自分はどこから来た人間なのか」「自分は何をしなければならないのか」という自分のオリジンを意識する感覚が芽生えてくるんですね。イタリアでは自分は外国人であり東洋人なので、周囲の西洋の人間と同じようなクリエーションを発表したところで、本当にそれが自分に求められていることなのか、と自問自答しだすわけです。

そこで、誰も真似のできないイタリアである程度培った自分の経験と、生まれ育った日本人としてのオリジンをストレートに作品に反映していけばオリジナルは生まれてくるのではないかと。そのためには「創作を立体で」やるべきだと思いました。立体作業では瞬間瞬間が決断の連続です。

─ その考え方で自身のブランドの創作を始めてうまくいきましたか?

研壁:実際に立体で衣服を作ってみたら、案外スムーズにできた、というのが感想です。僕は立体やパターンを専門的に勉強してきたわけではありませんが、イタリア時代に人体による仮縫いを本当に沢山こなしてきたせいか、その分量感を眼と体が覚えていたわけです。量感を肌で感じて、視覚で覚えている感じというか。「細い」「太い」「ダサい」「動きやすさ」という数値で表せない感覚を、ほとんど量感で覚えていました。