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物作りの道を志す若者が増えているという。木工や革小物、テキスタイルなど、ハンディクラフトの技を学ぶ専門学校はどこも盛況だ。荒川のほとりに工房を構える成島製帽でも、20~30代の兄弟3人が肩を並べて帽子作りにいそしんでいる。過去に二度も大きな危機に見舞われたことがある同社だが、家族経営ゆえの柔軟な体制で時代の波をかいくぐってきた。

ベビー用の帽子から婦人物、紳士物へシフト

社長の成島和義氏(56歳)は、2年半ほど問屋で流通の経験を積んだ後に、成島製帽に入社した(中段右)。長男の成島和也氏(31歳)は、企画、営業から試作品作りまでをこなす。得意先のデザイナーにとって頼もしい存在だ(中段左)。

 成島製帽は、帽子職人の成島源八氏(84歳)が1966年に個人事業主として独立したことにはじまる。法人化したのは1976年。1990年からは息子の成島和義社長(56歳)が経営を担っている。その歴史は波瀾(はらん)万丈といってよいだろう。
 創業した当時は景気もよかったが、第2次オイルショックが起こった1979年、一番の得意先だった帽子問屋が倒産。個人資産を崩して持ちこたえた。数年後、同業者の誘いで、キャラクター柄のベビーや子供の帽子を手がけるようになった。その間、経営は安定していたが、2000年にまたも得意先が倒産。今度は、メーカーのOEMとして、婦人物の帽子を作るようになった。婦人帽の需要減にともない、2005年からは紳士帽の製作を強化。現在の売り上げ構成は、紳士5割、婦人3割、ベビー・子供の帽子が2割という内訳となっている。
「うちは、ベビーや子供の帽子から出発していたことが幸いしました」というのは、成島社長だ。「ベビー用の帽子は、普段、ベビー用の帽子を縫っている職人にとっては、大人の帽子を縫うのは、それほど難しいことではありません。あらゆる布帛(ふはく)の帽子を作ってきたおかげで、小さいながらも懐の深いメーカーになれたと自負しています」
 帽子を作るには、合板製の固い型紙を新しく起こさなければならない。同社の倉庫には、これまでに手がけた膨大な数の型が保管してある。それらを組み合わせれば、たいていの試作品が短時間でできてしまう。こうした器用さ、小回りのきく対応こそ、同社の強みだといえるだろう。
あうんの呼吸が通じる、家内制手工業の強さ

過去に手がけてきた帽子の型が大切に保管されている(最上段)。得意先に提案する試作品を縫製する高玉秀夫さん。この道50年をこえるベテランだ(中段左)。「骨身を惜しまず働くこと」が先代の教え。昔かたぎの職人一家だ(最下段)。

「家内制手工業」というと前近代の生産体制のように聞こえるが、ハンディクラフトの製品では、そもそも大規模な設備投資が適さない場合もある。帽子作りもそのひとつだ。大手メーカーであっても、縫製や仕上げなどの肝心な工程は、手作業が中心となる。
 成島製帽の場合は、父と母、3人の子供、祖父の代から勤める職人の合計6名が製作を担う。縫製は内職へ依頼しているが、分業はせず、全員が帽子作りの技術をひと通り、マスターしている。中でも長男の成島和也氏(31歳)は、腕前がよく、絵を見ただけで型を起こせるという。その才能は、社長も認めるところだ。
「子供たちは、オリジナルブランドを自分たちで立ち上げたいと入社しました。名もないメーカーの帽子が売れるほど、現実は生やさしくありません。でも、息子の働きで、若者向けの帽子を扱う小売店と新しく取引できるようになりました」
 シーズンごとに変わるトレンドやデザイナーからの細かい要望に対して、若い感性と熟練した職人技の両面で対応する。たとえ企画書や仕様書がなくても、営業から現場に意図がストレートに伝わり、イメージ通りの試作品ができる。家族ならではの、あうんの呼吸が同社の強みだ。
 もうひとつ、成島社長がひそかに自負していることがある。帽子の「風合い」である。「風合いは、帽子のかぶり心地にあらわれます。硬い生地だからといって、芯やツバといった付属品まで固くすると、風合いがなくなります。こうした目に見えない技術も、子供たちにきちんと伝えていきたいですね」  
有限会社成島製帽 会社概要
■事業内容 布帛帽子の製造
■代表者名 成島 和義
■資本金 500万円
■従業員数 7人
■所在地 〒120-0022 東京都足立区柳原2-35-9
■電話 03-3888-0152
■FAX 03-3879-3535
■取扱品目 紳士、婦人、子供、ベビー帽子
■メールアドレス narushimaseibou@ybb.ne.jp